大阪城は、天正11年(1583年)に豊臣秀吉が築き始めた城です。しかし、今見えている石垣や櫓は、大坂の陣のあとに徳川幕府が築き直したもので、秀吉の城は地下に埋められています。今の天守閣は、昭和6年(1931年)に市民の寄付で復興したものです。この記事では、豊臣と徳川、二つの大坂城が重なる大阪城の歴史と、現地で見られる見どころを紹介します。
大阪城の基本情報
| 所在地 | 大阪市中央区大阪城1-1(大阪城天守閣) |
|---|---|
| 築城 | 天正11年(1583年)豊臣秀吉が築城開始/元和6年(1620年)徳川幕府が再築開始 |
| 天守閣 | 昭和6年(1931年)復興。国の登録有形文化財(1997年)、大阪市指定有形文化財(2025年) |
| 文化財 | 国の特別史跡。重要文化財13件(大手門・千貫櫓・乾櫓・多聞櫓・桜門など) |
| 日本100名城 | No.54 |
| 天守閣の開館時間・入館料 | 大阪城天守閣の公式サイトで確認してください(入館券は公式の予約サイトで事前購入もできます) |
| 最寄り駅 | Osaka Metro「谷町四丁目駅」「天満橋駅」「森ノ宮駅」、JR「大阪城公園駅」「森ノ宮駅」、京阪「天満橋駅」など |
| 公式サイト | 大阪城天守閣/大阪城公園 |
大阪城の謎:なぜ「二つの大坂城」が重なっているのか

大坂の陣で落城したあと、徳川幕府は大坂城を築き直しました。このとき、豊臣の城の石垣は約6メートルの盛り土の下に埋められ、その上に新しい石垣と堀が築かれました。そのため、地上の大阪城は徳川の城、地下には秀吉の城が眠るという「二つの大坂城」が重なっています。地下の石垣は、昭和34年(1959年)の調査で約7メートルの深さから見つかり、「謎の石垣」と呼ばれました。その正体と、徳川が豊臣の城を埋めた理由についての説は、次の記事でくわしく紹介しています。
大阪城の歴史
大坂本願寺の跡に、秀吉が築城(1583年〜)

大阪城のある場所には、もともと大坂本願寺(石山本願寺)があり、石山合戦では織田信長と戦いました。天正11年(1583年)、羽柴(豊臣)秀吉はその跡地で大坂城の築城を始めます。秀吉の城の本丸は「詰ノ丸」「中ノ段」「下ノ段」の三段に分かれ、いちばん上の詰ノ丸は、秀吉と妻のおね、淀殿と秀頼が暮らした中心部でした。大阪城天守閣が所蔵する『大坂夏の陣図屏風』(重要文化財)には、壁の黒い豊臣期の天守が描かれています。
大坂の陣で落城(1615年)
慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなったあと、豊臣家と徳川家の対立は深まり、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で大坂城は落城しました。地下で見つかった豊臣の石垣には、このときの猛火を受けた跡が残っています。
徳川幕府による再築 ― 豊臣の城を埋めた(1620年〜)
元和6年(1620年)、徳川幕府は大坂城の再築を始めました。豊臣の本丸の中ノ段の高さで約6メートルの盛り土をして豊臣の石垣を埋め、その上に新しい石垣を築いています。今見られる石垣や堀、大手門・多聞櫓・千貫櫓などの古い建物は、すべて徳川の時代以後のものです。徳川の天守は寛永3年(1626年)に完成しましたが、寛文5年(1665年)に落雷で焼け、その後、江戸時代を通じて天守は再建されませんでした。
幕末の焼失と、昭和の天守閣復興(1931年)
幕末の動乱で城内の建物の多くが焼け、明治以降、大阪城は陸軍の管轄になりました。昭和3年(1928年)、大阪市長の關一が天守閣の再建を提案し、陸軍第4師団司令部庁舎の新築や公園の整備も含めた総予算150万円を、市民の寄付でまかなう計画が進められます。そして昭和6年(1931年)、天守閣が復興しました。徳川の天守が焼けてから266年ぶりの天守です。今の天守閣は鉄骨鉄筋コンクリート造で、『大坂夏の陣図屏風』の天守をもとに設計され、白い壁の層と、黒い壁に金の装飾の最上層を組み合わせた姿になっています。
現地で確かめる大阪城の見どころ
天守閣 ― 8階の展望台と、秀吉と大坂の陣の展示

天守閣の中は博物館になっています。公式サイトによると、3階と4階は「豊臣秀吉とその時代」(黄金の茶室の原寸大模型、豊臣時代と徳川時代の大坂城の復元模型など)、5階は「大坂夏の陣図屏風の世界」、7階は「豊臣秀吉の生涯」の展示です。8階は地上50メートルの展望台で、大阪城と大阪のまちを一望できます。
大阪城 豊臣石垣館 ― 地下に眠る秀吉の石垣
令和7年(2025年)に開館した豊臣石垣館では、昭和59年(1984年)に見つかった詰ノ丸の石垣を、地中に降りて見学できます。開館時間は9:00〜18:00(入館は17:30まで)で、入館には大阪城天守閣の入館料が必要です。
重要文化財の門と櫓
大阪城公園には、徳川時代以後の古い建物が残り、昭和28年(1953年)に重要文化財に指定されました。大阪城公園の公式サイトでは、大手門、塀(3棟)、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、焔硝蔵、金蔵、金明水井戸屋形、桜門の13棟が紹介されています。
徳川の高石垣と巨石

徳川の再築では、豊臣の城より高い石垣が築かれ、本丸東側の石垣は高さ約32メートルあります。昭和34年(1959年)の調査では、地上の石垣に、江戸時代に工事を受け持った大名の刻印が数多く見つかっています。刻印を探しながら歩くと、徳川の再築がどれほど大きな工事だったかが感じられます。
大阪城へのアクセス
大阪城天守閣の公式サイトでは、次の駅や乗り場が案内されています。天守閣は公園の中心にあるので、乗り換えのしやすさで選ぶとよいでしょう。
- Osaka Metro 谷町線「谷町四丁目駅」1-B番出口、「天満橋駅」3番出口
- Osaka Metro 中央線「谷町四丁目駅」9番出口、「森ノ宮駅」1番出口・3-B番出口
- Osaka Metro 長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」3-B出口、「大阪ビジネスパーク駅」1番出口
- JR大阪環状線「森ノ宮駅」「大阪城公園駅」、JR東西線「大阪城北詰駅」
- 京阪電車「天満橋駅」
大手門から天守閣、豊臣石垣館を回る順番と徒歩時間は、半日モデルコースにまとめています。
よくある質問
今の大阪城の天守閣は、秀吉の時代のものですか?
いいえ。今の天守閣は昭和6年(1931年)に市民の寄付で復興したものです。秀吉の天守は大坂の陣で失われ、徳川の天守も寛文5年(1665年)に落雷で焼けています。
豊臣秀吉の時代の石垣は見られますか?
はい。地上の石垣は徳川時代のものですが、2025年に開館した「大阪城 豊臣石垣館」で、地下に眠る豊臣の詰ノ丸の石垣を見学できます。
天守閣の展望台は何階ですか?
8階です。地上50メートルの高さから、大阪城と大阪のまちを見渡せます。
大坂城と豊臣家を描いたドラマ・映画
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』や、大坂の陣を描いた『真田丸』など、大坂城と豊臣家が出てくる作品と、見られる動画配信をまとめています。
大阪城をもっと知るための本
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出典・参考文献
- 大阪城天守閣 https://www.osakacastle.net/
- 大阪城天守閣「展示案内」 https://www.osakacastle.net/exhibition/
- 大阪城天守閣「交通アクセス」 https://www.osakacastle.net/access/
- 大阪城天守閣「大阪城 豊臣石垣館」 https://www.osakacastle.net/toyotomi_stone_wall/
- 大阪城天守閣「大阪城の歴史」 https://osakacastle.net/history/
- 大阪城公園(重要文化財) https://osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=204
- 公益財団法人日本城郭協会「日本100名城」 https://jokaku.jp/business/great-castles
- 大林組「大林組百年史」(大阪城天守閣の復興) https://www.obayashi.co.jp/chronicle/100yrs/t1c4s3.html
- 美術展ナビ(徳川の本丸東側の石垣の高さ) https://artexhibition.jp/topics/features/20250618-AEJ2677500/
(いずれも2026年11月7日に閲覧)

