真田丸の跡はどこ?大坂冬の陣の出城を、三光神社から明星学園・心眼寺まで歩く

真田丸の跡は、大阪城の南、玉造駅の南側に広がる高台にあります。長いあいだ三光神社のあたりとされてきましたが、近年は古い絵図の研究から、大阪明星学園の敷地を中心とする一帯にあった独立した出城だと考えられるようになりました。真田丸は大坂冬の陣のあとに壊されたため形はほとんど残っていませんが、三光神社、真田丸顕彰碑、心眼寺、円珠庵をつなぐと、1時間ほどで真田丸のまわりを歩けます。

真田丸の基本情報

場所大阪市天王寺区の玉造・餌差町のあたり(大阪城の惣構えの南)
築かれた年慶長19年(1614年)、大坂冬の陣のとき
築いた人真田信繁(幸村)
戦い慶長19年12月4日、攻め寄せた徳川方の軍勢に大きな損害を与えた
今の姿和睦のあとに壊され、形はほとんど残っていない。三光神社・真田丸顕彰碑・心眼寺などが跡を伝える
最寄り駅Osaka Metro 長堀鶴見緑地線「玉造駅」(三光神社まで徒歩2分)、JR大阪環状線「玉造駅」(同 徒歩5分)
三光神社までの徒歩時間は大阪観光局の案内による(2026年11月7日確認)

真田丸とは?大坂城の南に築かれた出城

大坂城は北・東・西を川や海に守られた城でしたが、南だけは川も谷もなく、弱点とされていました。そのため豊臣秀吉は、城の南に深い空堀と土塁をめぐらせた「惣構え」を築いています。慶長19年(1614年)、徳川と豊臣の戦い(大坂冬の陣)が迫ると、九度山から大坂城に入った真田信繁(幸村)は、この惣構えのさらに南に出城を築きました。これが、のちに「真田丸」と呼ばれる出城です。

信繁が大坂城に入ったのは慶長19年10月で、江戸時代の書物『落穂集』には、11月に真田丸が完成したと書かれています。わずか1か月あまりで築いたことになるため、出城を築く計画そのものは信繁が入城する前からあり、最初は後藤又兵衛が任されていたという史料もあります。歴史学者の平山優氏は、計画は豊臣方の既定方針で、縄張り(設計)と建物の建設を信繁が引き受けて完成させたのではないか、という説を示しています。

「真田丸」という名前も、はじめから付いていたわけではないようです。信繁がこの出城で大きな戦果を上げたことから、冬の陣のあとにそう呼ばれるようになったと考えられています。

戦いが動いたのは慶長19年12月4日です。信繁は本郭の東側の副郭から加賀の前田家の軍勢を挑発し、前田勢が攻め上ったときには、すでに本郭へ引き上げていました。そのあと鐘や太鼓でさらに挑発された前田勢が本郭に押し寄せると、真田勢は砦から矢や鉄砲を浴びせ、井伊・松平・藤堂などの軍勢もあとに続いて大きな損害を出しました。

真田丸はどこにあった?昔の説と今の説

昔の説:惣構えにくっついた半月形の出城

真田丸は冬の陣のあと、徳川方によって徹底的に壊されたため、場所も形も長いあいだはっきりしませんでした。江戸時代の絵図や記録から、大坂城の惣構えの南にある平野口にくっつくように築かれた、半月形の出城だと考えられてきました。三光神社のある高台(宰相山)が真田丸の跡とされてきたのは、この考え方によるものです。

今の説:谷を隔てて独立した、四角形の出城

近年、城郭研究者の坂井尚登氏らが、広島藩主だった浅野家に伝わる絵図集『諸国古城之図』の「摂津真田丸」の図などを使って調べ直したところ、別の姿が見えてきました。真田丸は惣構えにくっついていたのではなく、惣構えから幅200メートルあまりの谷を隔てた高台に、四角形に近い本郭と、その東側の副郭からなる独立した出城だったというのです。

この考え方では、本郭は今の大阪明星学園の敷地を中心に、東に心眼寺・興徳寺・大応寺、南西の角に円珠庵が建つ一帯にあたります。本郭の広さは東西約280メートル・南北約270メートル、東の副郭と合わせると東西約500メートルにもなり、砦というより一つの小さな城といえる規模だったとみられています。三光神社のある高台は、本郭ではなく東側の副郭のあたりになります。

2016年には、城郭考古学者の千田嘉博氏が、真田丸の跡で初めての学術的な発掘調査を行いました。千田氏は、少し前まで三光神社のあたりが真田丸だと信じられていたが、広島や島根から見つかった絵図によるとそれより西側だった、と説明しています。終戦直後に米軍が撮った航空写真や、地中レーダーによる探査も手がかりにされました。ただし、絵図がいつ描かれたものか、どこまで当時の姿を正しく伝えているかについては、研究者の間で異なる意見もあります。

真田丸の跡を歩く(約1時間)

玉造駅から南へ歩き、東から西へ、三光神社 → 心眼寺 → 真田丸顕彰碑(大阪明星学園のそば)→ 円珠庵の順に回ります。大阪観光局のモデルコースでは、三光神社と心眼寺は徒歩2分、心眼寺と円珠庵は徒歩8分です。歩く時間は合わせて20分ほどなので、見学を入れても1時間ほどで回れます。坂の多い高台なので、歩きやすい靴で出かけましょう。

三光神社:「真田の抜け穴」と真田幸村の像

玉造の南の小高い丘に建つ神社です。大阪観光局の案内では、この地は真田丸の一部と考えられ、大阪城までつながる「真田の抜け穴」と呼ばれる地下道があったと伝えられています。抜け穴の入口は今も残っていますが、ふだんは鉄の門で閉じられています。境内には、采配を高く掲げた真田幸村の像があり、昭和62年(1987年)に建てられました。台座には、信州上田にある真田家の菩提寺・長谷寺の石が使われています。なお、抜け穴は長さ10メートルほどの横穴で、真田方ではなく、ここに陣取った前田勢が掘ったものだとする見方もあります。

三光神社のある高台は、今の説では真田丸の副郭にあたり、今は宰相山公園になっています。「宰相山」という名前は、冬の陣で信繁が捨てた副郭に、加賀の前田家(藩主が「加賀宰相」と呼ばれた)の軍勢が陣取ったことに由来するといわれています。

心眼寺:真田幸村父子の冥福を祈る寺

大阪市天王寺区の案内によると、心眼寺は元和8年(1622年)、白牟和尚が真田幸村父子の冥福を祈って建てた寺で、真田丸の出城跡とされています。門の扉には真田家の家紋が飾られ、大坂冬の陣から400年にあたる平成26年(2014年)には、境内に幸村の墓が建てられました。今の説では、心眼寺は真田丸の本郭の東側にあたります。

真田丸顕彰碑と大阪明星学園:本郭があったとされる場所

心眼寺の西側に広がる大阪明星学園のそばに、「真田丸顕彰碑」が建っています。今の説で真田丸の本郭があったとされるのは、この学園の敷地を中心とする一帯です。学校の敷地には入れないので、碑と道路から高台の地形を眺めましょう。真田丸の北側には、清水谷という自然の谷を利用した惣構えの堀があったと考えられています。

円珠庵(鎌八幡):真田丸の南西の角

心眼寺から南西へ歩いた先にある円珠庵は、鎌八幡とも呼ばれます。大阪観光局の案内では、冬の陣のときに幸村が神木に鎌を打ち込んで祈ったところ、真田丸で大勝利をおさめることができたと伝えられ、必勝祈願の神木として知られるようになりました。今の説では、真田丸の本郭の南西の角にあたる場所です。境内はすべて撮影禁止なので注意しましょう。

大阪城まで足をのばすなら

大阪観光局の「真田幸村と大坂の陣コース」では、三光神社から玉造稲荷神社(徒歩13分)、細川ガラシャゆかりの越中井(徒歩8分)を通って、大阪城(徒歩20分)へ向かいます。真田丸の跡から、信繁が守ろうとした大坂城まで歩いてみると、出城と城の距離感がよく分かります。大阪城の中の回り方は、半日モデルコースにまとめています。

よくある質問

真田丸の遺構は残っていますか?

真田丸は冬の陣の和睦のあとに壊されたため、石垣や建物のような目に見える遺構はほとんど残っていません。そのかわり、高台や谷といった地形が残っていて、2016年の発掘調査でも、地形が残っていることが手がかりになりました。

「真田の抜け穴」は幸村が掘ったのですか?

大阪城までつながる地下道だったという言い伝えがありますが、確かめられてはいません。長さは10メートルほどで、真田方ではなく、ここに陣取った前田勢が大坂城を攻めるために掘ったものだとする見方もあります。

真田丸の跡と、幸村が亡くなった場所は同じですか?

違います。真田丸は冬の陣の出城で、幸村が最期を遂げたと伝わるのは、翌年の夏の陣の安居神社(天王寺区)です。夏の陣で幸村が本陣を置いた茶臼山も、安居神社の近くにあります。

作品で見る真田丸

真田丸は、多くのドラマやアニメに登場します。NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)では第44回「築城」と第45回「完封」、『どうする家康』(2023年)では第46回「大坂の陣」、アニメ『戦国無双』(2015年)では第10話「無双の砦」で描かれます。作品のあらすじと、見られる動画配信は、作品一覧のページにまとめています。

出典・参考資料

  • 文春オンライン「NHK大河ドラマ『真田丸』の舞台 真田氏ゆかりの地をめぐる」第21回【大阪明星学園/心眼寺】(歴史家・岩倉哲夫氏の解説と考察をもとにした記事、2016年11月26日) https://bunshun.jp/articles/-/198(2026年11月7日閲覧)
  • 文春オンライン 同連載 第22回【三光神社/宰相山公園】(2016年12月3日) https://bunshun.jp/articles/-/184(2026年11月7日閲覧)
  • 大阪観光局「三光神社」 https://osaka-info.jp/spot/sankojinja/(2026年11月7日閲覧)
  • 大阪観光局「真田幸村と大坂の陣ゆかりの地を巡る!大阪観光モデルコース」 https://osaka-info.jp/modelcourse/course-sanada-yukimura-walk/(2026年11月7日閲覧)
  • デイリースポーツ(Lmaga.jp)「井上あさひアナ、発掘現場を初体験」(2016年12月13日、千田嘉博氏の発掘調査) https://www.daily.co.jp/leisure/kansai/2016/12/13/0009748376.shtml(2026年11月7日閲覧)
  • 大阪市天王寺区の史跡案内(心眼寺の解説)

大坂の陣を本で知る

冬の陣のあとの堀の埋め立ては豊臣方も了解していたのか、など、大坂の陣には通説とは違う見方がいくつもあります。『大坂の陣全史 1598-1616』(渡邊大門)や『論争 大坂の陣』(笠谷和比古)など、大坂の陣を詳しく知るための本を、書籍のページで紹介しています。

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